笠原園花のチアリーディング人生〜前編〜

高校2年生の時

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さて、最近、「一体何者なんですか」と質問が来ることが多いので答えます。

簡単な自己紹介

神奈川県川崎市生まれ、東京稲城市育ち。幼少期は日本舞踊やバレエ、バトントワリング、ダンスといった表現スポーツ、そしてバレーボールや茶道、珠算、中学ではテニス部、と、色々な習い事やスポーツをしていました。

進学校都立国立高校へ!勉強ができないかわりに

高校2年生の時

小学6年の終わりから、都立の進学指導重点校である東京都立国立高校に行きたい! と思い、中学3年間は、部活よりも勉強、勉強の毎日でした。

成績はいわゆる「オール5」でないと合格は厳しいと言われていたので、3年間オール5をとることに集中していたのを覚えています。

勉強に集中するためにも、緩め部活であるテニス部を選びました。真剣に練習をしていなかったのでテニスは下手です。

指定された日に願書を持って国立高校に行くと、志願者がたくさん列作っていて、みんな並びながら、学校の成績がどれくらいかお互い話すんですね、したら本当にほぼみんなオール5なんです。

「あ、本当にすごい人たちの集まりだ。やばいやつだ。」って相当焦っていました。試験当日は数学が見事に全然できなくて、絶対落ちた。と思っていたのですが、無事に志望校に合格し、(本当に嬉しかった!)晴れて都立国立高校(以下、国高)へ入学。

この国高への入学が私の人生の大きなターニングポイントだったと今思います。

だから、本当に、中学の頃色んなものを犠牲にして勉強してよかったと思っています。中学の頃は、学年でいつも成績が1位で誰にも学業成績では負けることがなかったので、自分は頭いいと思い込んでいたんですがw

高校入学してからは、周りが秀才すぎて、どんなに頑張っても成績が下の方なんです。

で、得意だった英語も帰国子女の子達には敵わなかったし(みんな発音いい!)、理系科目は先生が何言っているか理解すらできなかったし、音楽の授業ですら皆が歌うますぎて「こいつら、勉強だけじゃなくて、スポーツも音楽もなんでもできるのか…」と悟り、プライドの塊だった私は、プライドずたずたになり、「もう勉強やーめったっ!」ってなりました。

でも、そのかわり、チアにはのめり込みました。できるようになりたい技がたくさんありました。勉強では部活の同期に敵わなかったけど、チアではチーム内の誰にも(先輩方にも!)負けたくなくて、毎日の練習は手を抜かず、練習しました。

バレエやダンスをやっていたので、体の使い方はなんとなくのイメージでわかるけど、筋肉や体力があまりないタイプだったので、スタンツに乗り込んだ時にお尻が下がっちゃう、とかトータッチジャンプの高さがでない、とか苦手要素もたくさんありました。

チアが好きになれなかった高校1年生時代

実は、チアは最初はあまり好きにはなれませんでした。新しい技を学ぶのはすごく楽しいけど、その代わり想像以上に練習がきつかったからです。

スタンツがやりたくて入ったから、筋トレとかランニングとか基礎トレとか、そういうのはやりたくなかったわけです。

でも入部してみると、スタンツをする時間より、筋トレとかそういうコンディショ二ングの時間のほうが長いのです。「なんでこんな辛い思いしてまで、チアやらなきゃいけない?」と思うようにもなりました。

高校1年の時の全体部員が少なかったため、運良く入部して2ヶ月後にあった関東大会のメンバーに選ばれました。その大会練習が楽しかったのは覚えています。

大会でチームはノーミスを出せなくて先輩たちも泣いていて、素直に「悔しい!!」と強く思いました。

でも、大会後はまた、「辛いなあ」の感情。

そして、関東大会から2ヶ月後にあった夏合宿。これまたつらい。朝起きて筋トレ、縄跳び。朝ごはんを食べて、午前練(主に筋トレ)、昼御飯を食べて、午後練(主に筋トレ)、夜ご飯食べて、夜練(ひたすらモーション練習)。「もう無理!本当にやめたい!」と思っていました

しかし、チアリーディングの全国大会であるJAPAN CUPのメンバーだったので、とりあえず、大会は頑張ろうって思ってやっていました。

先輩が引退して、自分もフライヤーとして構成中にバスケットトスを飛ばせてもらえる機会があったのは本当に嬉しかったです。

それでもやっぱり、毎日暑い中の練習で、チアが好き!!という感情よりは、「とにかく今は頑張ろう。」という感じでした。

全国大会終わってからは地獄。3年生の先輩方が全員抜け、練習は基礎練習と筋トレのみ。しかも寒いし、先輩には「やる気あるのか」と怒られるし、毎日どうやったら部活を辞められるか考えていました。当時15歳の私は真剣に、「病院からうつ病診断書を書いてもらおうか」とすら思っていました。

2月にあった高校生大会もなんとか切り抜けて。「最悪な一年だったなあ」思っていた反面、できる技がたくさん増えていたことにも気づいたんです

例えば、高校1年の冬には、バスケットトスでトータッチが綺麗に出せるようになっていたり、バク転ができるようになっていたり、ロンダードバク転ができるようになっていたり、ジャンプも足が高く上がりつつあって。

「意外といろんなことできてる!もっともっと上手くなりたい!先輩たちにも負けたくない!」とうっすら思いはじめていました。

嫌いだったチアにはまったきっかけ

一番の大きなきっかけは、高校2年生になってすぐに開催された関東大会でした。同じ「フライヤー」というポジションを行う先輩が1人しかいなく、わたしの学年のフライヤー選手達がそのポジションを補わなければいけなかったのです。

同学年にはフライヤーがわたし含めて3人。うち1人が前十字靭帯故障のため休養していたので、身体も小さかったわたしは、スキルがないにもかかわらず、最初から最後まで、重要なポジションで演技させていただく機会を得られました。

これが大きなきっかけでした。
自分がチームを引っ張らなきゃ!スキルをもっともっと磨いて、絶対に全国大会の準決勝に進出する!」と強い気持ちが急に芽生えたのを覚えています。

それからは、「辛いのは当たり前で、人を持ち上げるベースはもっとつらい。他の強豪チームはもっと辛い練習をしている」(すごく日本人らしい考え方だけど)と自分を鼓舞し、辛くても練習に真剣に励むようになりました。

「自分がチームを引っ張る」という使命感。運が良かっただけだけど、本当に良いきっかけだったと思います。

この考え方と全く反対のオーストラリアの文化について書いた記事がこちら

センターで色々な技をやらせてもらえる機会が多くなったころ
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ABOUT US
Cheer English 編集部
2007年に日本でチアリーディングを始め、2017年~2020年にはオーストラリア・メルボルンでチアリーディングの選手兼コーチとして、現在は日本全国を回り指導・振付を行なっています。日本と海外のチアリーディングについて皆さんに有益な情報をお届けします!